ダ・ビンチの弟子たち – サライとメルツィの師弟関係
レオナルド・ダ・ビンチの偉大な芸術的遺産の陰には、彼を支え、その知識と技術を受け継いだ弟子たちの存在があります。数多くの弟子の中でも、特に注目すべきは二人の青年です。一人は謎めいた美少年サライ、もう一人は貴公子出身の忠実なメルツィ。この二人は、まったく異なる背景と性格を持ちながら、それぞれがダ・ビンチの人生に深い影響を与えました。
謎多き美少年サライ – 盗癖を持つ問題児がダ・ビンチの愛弟子となるまで
1490年、10歳の少年ジャン・ジャコモ・カプロッティがダ・ビンチの工房に弟子として入門しました。しかし、この美しい少年は師匠を大いに困らせる問題児でした。ダ・ビンチ自身の記録によると、入門初日にシャツを盗み、翌日には銀のペンを盗むなど、その盗癖は筋金入りでした。「泥棒、嘘つき、頑固者、大食い」と師匠に評されながらも、なぜかダ・ビンチは彼を手放そうとしませんでした。
この少年に「サライ」(悪魔の意)というあだ名をつけたダ・ビンチでしたが、その関係は単純な師弟関係を超えていたようです。サライの容姿の美しさは当時から有名で、ダ・ビンチの描く天使や美青年のモデルとなったとされています。実際、《洗礼者ヨハネ》や《バッカス》などの作品には、サライの面影を見ることができます。師匠は彼に高価な衣装を買い与え、まるで息子のように可愛がったという記録が残されています。
25年という長期間にわたってダ・ビンチのもとに留まったサライは、やがて絵画技術を身につけ、師の作品の模写や工房作品の制作に携わるようになりました。彼の現存する作品は少ないものの、《レダと白鳥》の模写などから、確かな技術を持った画家に成長したことがわかります。しかし、彼の真の価値は技術面よりも、ダ・ビンチの創作活動における霊感源としての役割にあったのかもしれません。師匠の死後、彼は《モナ・リザ》を含む貴重な作品群を相続し、1524年に決闘で命を落とすまで、その遺産を大切に守り続けました。
忠実なる後継者メルツィ – 師の遺志を受け継いだ貴公子の献身的な生涯
1506年頃、ミラノの名門貴族の息子フランチェスコ・メルツィがダ・ビンチの弟子となりました。当時15歳だった彼は、サライとは対照的に、教養豊かで品行方正な青年でした。ロンバルディア地方の有力者の息子として生まれ、すでに高い教育を受けていた彼は、ダ・ビンチにとって理想的な弟子となりました。師匠は彼を「最愛の弟子にして相続人」と呼び、その才能と人格を深く愛しました。
メルツィの最も重要な貢献は、ダ・ビンチの膨大な手稿と知識の整理・保存でした。師匠の死後、彼は7000ページを超える手稿を相続し、生涯をかけてその整理と保存に努めました。特に絵画に関する理論をまとめた『絵画論』の編纂は、メルツィの最大の功績の一つです。彼がいなければ、ダ・ビンチの理論的遺産の多くは散逸していたかもしれません。また、師匠の未完成作品の完成にも力を注ぎ、《聖アンナと聖母子》などの仕上げにも関わったとされています。
メルツィ自身も優秀な画家でしたが、彼は自身の創作活動よりも師の遺産の保護を優先しました。《ヴェルトゥムヌスとポモナ》などの作品からは、ダ・ビンチの技法を忠実に受け継いだ確かな技術が見て取れます。しかし、彼の真の偉大さは、私利私欲を捨てて師の知的遺産を後世に伝えることに全人生を捧げた献身性にあります。1570年に亡くなるまで、彼は師の記憶を守り続け、その結果、私たちは今日でもダ・ビンチの思想の全貌を知ることができるのです。メルツィこそ、まさに理想的な弟子の典型と言えるでしょう。
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